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地方男子大学生トレーニーのブログ

やめたい理由は「やめたいから」でいいじゃん


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「やめたい」と思うことがありますか?

そして、何かをやめたいと思った時に「やめる」ことができますか?

 

人々は、何かを「はじめたい」と思ったら行動に移すのに、「やめたい」と思ったことに対しては行動に移さない。

例えば、酒やタバコやギャンブルにしても仕事にしても「やめたい」と思っているのにやめようとしない人が多い。

人は、何かをはじめることより「やめる」ことの方が難しいのだ。

そして、多くの人は「やめる力」を持っていない。

 

僕が「やめたいから」やめた話

僕は、現在大学四回生で高校一年生の時に部活を辞めた。

部活をやめる理由なんて「やめたいから」しかなかった。もちろん、ある日突然やめたいと思ったわけじゃなく、「やめたい」と思う要因が部活をするにつれて日に日に溜まっていき限界点を迎えただけなのだ。それまでの過程を全て説明することなんて不可能に近い。なぜなら、それまでやめたいとは思っていなかったからだ。

 

ただ、限界点を超えた時に「やめたい」という感情が湧き上がり、その感情がどうして湧きあがったのかの確認作業が理由になっていくだけなのだ。こんな理由は、後付けでしかない。だから僕は、ある日突然顧問の先生に「今日でやめます」と言った。

やめる力を手にいれた瞬間だった。

 

そもそも、感情に本当の理由なんかない。

例えば、Aさんと付き合いたいと思った時に「好き」という感情しかない。もし、 Aさんが金持ちだからや可愛いから付き合いたいと理由をつけたら好意は持たれない。

もしかしたら、金持ちや可愛いというのは好きになった要因ではあるかもしれないけど、それがAさんを選ぶ要因にはならない。もしAさんよりお金持ちで可愛いBさんがいたとしたらBさんを好きになるかと言われると違うからだ。Aさんを好きになった理由なんてないし、いらない。ただ好きだから好き。それでいい。

 

周りの友達や恋人を想像してみてほしい。可愛いから友達、話が面白いから友達なんてのはないと思う。その人と友達であるのに理由なんかないし、理由はなくていい。

 

僕は、顧問の先生に「今日でやめます」と言って怒られた。

しかし、僕はそのまま本当にやめた。クラスの担任の先生や学年の先生などいろんな人から理由を聞かれたけど、毎回答えていたことが違ったことを覚えている。

最後の方には、「部活をするお金がない」なんて答えていた笑

だって、やめたいからやめたんだもん。笑

理由なんてないよ。

 

やめた後

やめた後の学校生活はひどかった。僕が体育館で遊んでいるだけで顧問の先生は怪我したら誰が責任取ってくれるんだ体育館を使うなと言ってきたり、部員だった人たちもどこか僕を避けているような気がしていた。

ただ僕は、顧問の先生に対しては純粋に嫌がらせなんだろうなしか思わなかったし、部員の人たちも冗談か本気か知らないけど常日頃やめたいと言っていたのでやめた僕を羨ましいとズルいと思っているんだろうなしか思わなかった。

 

何より、どんなことがあっても自分の感情を裏切らなかった自分がいるというのが本当に支えだった。

 

やめる力の大切さ

何かを「はじめたい」と思った時に「はじめる」と賞賛される。

何かを「やめたい」と思った時に「やめる」と批判される。

 

僕は、何が違うのか全くわからない。どちらも同じなのになぜ賞賛され批判されるのか。どうやら日本の世の中には、継続や努力や我慢することが美徳という意味の分からない風習があるようだ。

継続は力なり??

嫌なことを嫌と言い、やめたいと思ったらやめることを継続する方が難しい

 

そして、やめる力はおそらく年齢とともに得ることが難しくなる。

僕は、部活動で学んだことは「やめる力」の大切さ

そして、そこから自分の感情に素直になるということを学んだ。

 

学生の人は、勇気を出して嫌なことをやめればいいし、やめたいことはやめればいい

やめることで生まれる自分に対する責任感や信頼感は、人生の大きな力になると22のクソガキでも感じてます。

 

年齢を重ねると「やめる」ことが難しくなる

これは特に退職や転職などを想像するとわかりやすい。家族だったり時間だったり色々な要因が重なって、「やめた」後のことを考えてしまうからだ。

しかし、「やめた」ことのある人は、「やめた」後のことを考えるなんて無駄なことはしない。なぜなら「やめた」後のことは、やめてからしか分からないと知っているからだ。

 

「やめる」ということをしてこなかった人には、それが分からない。

やめたいと思ったのならやめればいい。

やめてからしか見えない景色が間違いなくあって、その景色をやめる前に見ようとするのは時間の無駄。やめるかどうか悩んでいる時間があるのなら、やめてからの時間に費やした方がいい。

 

「やめる」=「逃げ」

何かを「やめる」と逃げたと言われる。僕が部活を辞めた時も逃げだと言われた。

そして、逃げだと言ってくるやつの多くが逃げたいけど逃げれないやつだ笑

要するに、「やめる」ことができないやつ。

 

そもそも「やめる」ことを「逃げ」だと思う時点で察する。

普段から、そう思っているんだなと思ってあげれば可愛いもんだ。気にしなくていい

 

「やめる」=「逃げ」にしない

とは言っても、やっぱり「やめる」ことは逃げだと思うこともある。

逃げたいからやめるでいいじゃんって話。何が悪いの?

 

ただ、自分は逃げたんだと悪く考えないでほしい。

逃げれた僕は最強だくらいのメンタリティでいいし、(僕は「逃げ」だと思ってないけど)周りの人が「逃げ」だと思っているなら、いつか僕のその「逃げ」が「移動」くらいに思わせるような人生にしてやると思えば最高にやる気が出てくる。

「やめる」=「逃げ」にしない努力は強い。

 

おわりに

僕は、部活を辞める時「辞めたいから」辞めるで怒られた。

当時の僕は、意味がわからなかった。辞めたいと思ったことに理由をつけないといけないのかと思った。そして、帰り道に思えば世の中ってそういう意味がわからないことが多いなと思って思春期の僕は、その違いに苦しんで泣きそうになったのは今でも覚えているし悔しかった。

 

今では、退職や転職など人々の「やめたい」という感情が主張されるようになってきたと思う。それでも、「やめる」ことに対して行動できない人が多い。

仕事に対しても「やりたいことをやる」のが重視されてきている。

 

「やめたいからやめる」、「好きだから好き」、「食べたいから食べる」

全部、同じで自分の感情に素直になっていいじゃん。